今日は年に数回訪れる、とても嫌な気持ちになる日だ。

まあ世間ではバレンタインとか浮かれてんだよ。メディアに踊らされてチョコを買うという行為が作られた流行とも知らずに。

俺はこのバレンタインと言うイベントが嫌いだ。浮かれている男女どもに肥溜めのクソをぶっかけてやりたいくらいだ。

とはいえ世の中の経済に貢献しているという視点で見ればどんどん金使ってくれやって感じでも見る事が出来る。

ただな、貰ったチョコの数で男の価値が決まるような風潮があるようなところが未だに好きになれん。

特に10代の頃なんか、バレンタインの日には何故か通学中から根拠の無い期待しながら学校に向かうわけよ。

下駄箱に何か入ってないか?と期待しながら勝手にワクワクしてんのな。で何も入ってなくて落ち込む。

今度は教室に行って机の中にもしかしてチョコが入っているかもを教室内の女子をキョロキョロと見渡して余裕のあるフリして席に着く。

ここで大事なのはバレンタインなんて気にしてませんよ的な余裕をかましつつ、机の中を手探りで探すのが大事だ。

だけど机の中にも何も入っていない。またしても落ち込む。でもここでチョコが机の中に入っている男子は何故か浮かれ顔してんだよ。

次は休み時間と昼休みに期待をしながら過ごすんだけど、ここでも俺にチョコを渡しに来る女子はいないんだ。

俺様にチョコを渡さない女子達はバカなのか?と思いつつ放課後に賭けるしかない。

俺はサッカー部だったから、グランドの外を女子達が通る度に「早よチョコ持ってこいや」と期待するんだが、実は俺だけでなく部員たちも同じ事思ってんだよ。

でも結局女子は誰一人チョコを持ってこない。もしかして照れてんのか?と勝手に解釈して下校するんだが、もしかしたらここで逆転のチャンスがあるかもしれん。

でも女子の姿など全く見える事はない。何度落ち込んだか分からんくらいだが、最後の賭けは女子が家に電話してきて直接チョコを渡しに来る事だ。

これはかなり本命チョコの可能性が高く、期待値も高い。そこで俺は部屋で音楽効きながら漫画を読みつつ電話を待つ。

が、夜の11時になっても俺宛の電話は一切来ない。ここでやっと諦めがつく。そして枕を濡らしながら眠りにつく。

翌日学校に行った時にモテる男子は女子からチョコを何個貰ったかの話になる。そこで俺は黙って話を聞くだけの空気のような存在だ。

もちろん、俺だけではなく他の男子も同じように勝者の自慢話を聞かされるだけの惨めな存在である。

こんな事が毎年だから、そりゃバレンタインが好きになれるわけないだろ?

俺と同じ経験をしたことのある男は多いはずだ。胸に手を当てて10代の頃を思い出すがいい。

もう女子達はこういった勝手に期待をしている男子達にトドメを刺してあげたほうがいい。それが優しさだ。

義理チョコとかあからさまに分かるように、チロルチョコや5円チョコをクラスの男子達に配ればいいんだよ。

これなら男子もチョコもらったという気持ちになれるし、義理だと分かる。そして諦めも付くだろう。

今俺もこうして執筆しながら10代の頃のバレンタインを思い出していたが、何も良い思い出が無い。

あると言えば、中2のクリスマスに好きな女子に告白しに自宅までプレゼント持って行って渡して、その返事がバレンタインの時に来たくらいだ。

しかも見事にフラれてしまったという、チョコもらえないどころか気持ちにトドメを刺されるという泣きっ面にハチだ。

特に10代において女子達は男子達が貰ったチョコの数で優劣が付いているのを知っておくべきだ。

どうにも数=男としての価値が高いと暗黙の了解でランク付けられてしまうのよ。だからこその義理にチロルチョコだ。

学生の頃なんてチョコ貰えるか貰えないかでその後の人生に影響を与えると言っても過言ではないのだ。

とまあ俺が10代を過ごしてきた1990年代が懐かしいと思いつつ、バレンタインに対する考えを書いてみたぞ。

来年こそはチョコいっぱい貰えるといいな…。ブラックサンダーでも可。

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